家・住宅がマイホームとなるまでの歴史(日本住宅史)

そもそも、戦前においては、都市住宅の多くは借家でした。
1941年の厚生省「大都市住宅調査」では、全体の75.9%が借家となっています。
持ち家は、22.3%、給与住宅は1.8%。大阪では89.2%が借家となっていたのです。

階層化された住宅供給体制が整備される

1950.6 「住宅金融公庫」設立
1951.6 「公営住宅法」
1952.11「厚生年金保険積立金還元住宅資金貸付」開始
1955.4 「住宅建設十ヵ年計画」
1955.5 「第一生命住宅」設立(生命保険会社による宅地開発がはじまる)
1955.7 「日本住宅公団」設立
1955.8 「日生住宅」設立(生命保険会社による宅地開発)
1957.4 「住宅建設五ヵ年計画」

1951年にできた「公営住宅」は、低所得者向けの住宅を供給するものです。
一方、1950年の「住宅金融公庫」は、もともと 高所得層向けに持ち家の取得資金を融資するものでした。
つまり、ここで階層化された住宅供給体制が整備されていったのです。

高級分譲アパートから、工業化住宅、住宅ローンの発展

1956 「四谷コーポラス」(高級分譲アパートの登場
1957 「三田東急アパート」(高級分譲アパートの登場)
1958.1 東京急行電鉄「城西南地区(後の多摩田園都市)開発趣意書」発表(鉄道会社による宅地開発はじまる)

1950年代末から、1960年代初めにかけて、工業化された住宅が生産されるようになってきました。
1959 大和ハウス「ミゼットハウス」
1960 積水ハウス「積水A形」
1961 松下電工「松下㈵号型」

それと同時期に、消費者向けの住宅ローンが発展してきました。
1959.4 北海道銀行「道銀住宅資金貸付」
1961.2 大和銀行「融資型住宅信託」
1961.4 日本勧業銀行「住宅プラン」

1961年ごろ、先ほど述べた高級分譲アパートの登場から、
都心の高級物件を中心として、第一次マンションブームが起きます。

家・住宅がマイホームになる時代

1961.3 「新住宅建設五ヵ年計画」(「一世帯一住宅」を目標とするもの)
1962.4 「建物の区分所有等に関する法律」
1963.7 「新住宅市街地開発法」
1964.8 大阪府「千里ニュータウン」(新住宅市街地開発事業として、ニュータウン開発が活発化)
1965.6 「地方住宅供給公社法」
1966.6 「住宅建設計画法」
1966.7 「第一期住宅建設五カ年計画」
1966.12「多摩ニュータウン」(ニュータウン開発)
1967 住宅ローン残高で民間金融が公的機関を上回る
1968 全国ベースで住宅数が世帯数を上回る
1969.6 「都市計画法」
1968-1971年ごろ 第二次マンションブーム(都市近郊の廉価物件中心)
1971.3 「第二期住宅建設五カ年計画」(「一人一室」を目標とするもの)
1971.6 「日本住宅金融」設立(住宅金融専門会社)
1972.6 最高裁が日照・通風権を認定(翌年、建築基準法改正)
1973 1972年度の新規住宅着工戸数が一八六万戸に達し、戦後最高を記録
1975.7 「大都市地域における住宅地等の供給促進に関する特別措置法」
1978 「神奈川トーカイプラザ」(25階建マンション。超高層マンションの登場)
1979 名古屋「楽園町住宅」で公団分譲住宅初のオートロックシステム設置
1979.9 「特定都市市街地総合整備促進事業」開始
1981.10 「住宅都市整備公団」設立

このような経緯によって、日本の住宅は歴史を刻んでいっています。
今は、これらの歴史の元にまた歴史を刻んでいっているのです。