最後の植民地であったカリフォルニアが併合された
1848年頃までを含む期間が、コロニアル住宅です。
コロニアルとは、「植民地の」ということで、イギリスの植民地であったアメリカが
国家として独立するまでの期間のスタイルを主として指しますが、
広義には上記の1848年ころまでを指しています。
1700年から1780年頃、つまり、独立の頃までに流行したスタイルが、ジョージアン様式です。
これは、イギリスで流行したルネサンス様式の模倣でもあるそうです。
1780年頃から1830年代に流行したのが、フェデラル様式です。
フェデラルとは、連邦(フェデレーション)にちなんでつけられた名前です。
このフェデラル様式は、ギリシア・ローマ古典への回帰を志向し始めていたイギリスのアダム様式のアメリカ版でした。
1820年頃から南北戦争までの約40年間に流行したのが、グリーク・リバイバル様式です。
英米戦争以降、建築様式においてもイギリス離れがすすみ、
公共建築を中心にギリシアの古典を参考にするようになっていきました。
ツーバイフォーと呼ばれる工法の元祖であるバルーン・フレーム工法の誕生
この頃、住宅建築の図面集であるパターンブックが出版されるようになりました。
19世紀初頭、産業革命の進展に伴って、丸鋸、ベルト鋸が実用化し、
機械による製材が発展し、ワイヤーを切断して釘を大量に生産する技術が開発され、
建築材料が安価に供給されるようになってきました。
これらの影響で、現在、ツーバイフォーと呼ばれる工法の元祖であるバルーン・フレーム工法が生まれました。
2×4インチの木材を細かい間隔で連続して建てていくもので、
風船のようなフレームということで、バルーン・フレームと呼ばれています。
この工法では、丸太を全部同じサイズに製材して釘打ちとするため、
従来の柱梁工法におけるほぞ加工などの必要がなくなり、
製材、運搬、建て方のすべての段階でコストが削減されることとなりました。
ちなみに、1830年代に、このバルーン・フレーム工法を開発したといわれる
G.W.スノウはシカゴの製材業者だったそうです。
それから、アメリカの古典ともいえるコロニアル住宅への関心が高まることで、
リバイバル様式として流行しました。
これもまた、パターン・ブックなどを介し、主に中産階級を対象とする
各地の郊外住宅地の開発にともなって、広く普及しました。
このため、現代のアメリカ住宅の大多数は、
このコロニアル・リバイバル様式の延長線上にあり、最もポピュラーなスタイルとなっています。