沖縄に行って、住宅を見渡してみると、すぐにわかるのが、
沖縄の住宅はほとんどがRC造(鉄筋コンクリート)の住宅であることです。
見かける住宅がことごとくそうなので、不思議に思っていました。
後述する琉球村で、その疑問をそこのおばあさんに質問してみました。
「この琉球村の古民家は、ほとんどが木造の住宅ですよね。
でも、今ある住宅のほとんどはコンクリートでできているように思うんですが、どうしてそうなったんですか?」
「ああ、それは台風が来るからだよ」
どうやら、沖縄では、秒速50m以上もの猛烈な風雨が襲ってくるような台風がたくさん来るため、
家が吹き飛ぶリスクや、損害を考えると、コンクリート住宅になってしまったようです。
俗に言われる赤瓦の沖縄住宅は、希少な存在らしいです。
また、そのおばあさんは「赤瓦を作る職人も減ってしまっているからねー」ともおっしゃっていました。
識名園
希少な沖縄住宅。
そのひとつがあるのが、識名園です。1799年に完成したとされています。
国王一家の保養や中国皇帝からの使者(冊封使・さっぽうし)を
もてなすために作られた迎賓館を有する琉球王朝の庭園です。
2000年12月世界文化遺産に登録された観光スポットです。
沖縄住宅を考える上で、貴重な存在な主要施設、御殿(うどぅん)。
ここに中国からの使者をもてなしていたそうです。
沖縄様式の赤瓦屋根の木造建築。
冊封使を迎えていたのが1番座。続いて2番座、3番座。
きちんとヒエラルキーに則っています。
これは近世日本の書院造を踏襲していることがわかります。
実際に現地に行ってみるとわかるのですが、1番座の奥には押板がある床の間になっています。
そして、1番座の天井の高さは最も高くなっているのです。
2番座は、1番座より少し低い。
3番座は2番座よりも少し低い。
これは天井の高さと位置関係から、身分の差、立場の違い、もてなすレベルを可視化しようとする造りとなっています。
御殿の床は高く、風通しがよいようにつくられています。
御殿で最も地位の高い場所、1番座の上座のほうから、写真を撮ってきました。
この識名園で、最高の眺めだと設計された景色です。
移動して、台所へ。
御殿のなかでは、この台所の部分だけ、天井のない「現し」になっています。
これは、熱や煙を天井裏に伝わらせることで、木材が乾燥するようにする効果やシロアリを防ぐ効果があったそうです。
番屋は、番人が詰めていたそうです。
きちんと床の間があったりして、日本の近世の住宅様式を踏襲しています。
沖縄の古民家 @琉球村
沖縄の古民家を調査したくて、琉球村に行ってきました。
琉球村(希少な沖縄住宅がたくさん見られます)は、沖縄の文化・芸能・自然を見て体感できるテーマパークなので、 沖縄観光では定番スポットだそうで、沖縄の民家をたくさん集め移築しています。
そのため、今では希少な沖縄住宅が、琉球列島にある各地の古い民家を移築したかたちで残っており、参考になります。
古民家は、国の有形文化財にもなっているそうです。
観光客の方々は観光の定番スポットだからいらっしゃってるのでしょうが、 私個人は、希少な沖縄住宅の現物が見られるとあって、研究目的で来場。
お店として使われている民家もあったものの、ほとんどが築100年以上の住宅。素晴らしく貴重な存在です。
それぞれが、沖縄様式の赤瓦屋根の木造建築で作られています。
基本的に、天井はなく、現し。
土間があって、畳敷きの大きな空間。
仏壇のスペース以外は、仕切りもなく、かなり開放的なつくりになっています。典型的な古民家の様式ですね。
いくつも古民家を見ていくと、
本当に「平地に柱を立てて、梁を張って、屋根をつくっただけ、
小さく閉じたりせず、開放的に作られており、外界と一体になっている」
そんな感じがします。
旧大城家(築約200年)。
王府の重巨与那原親方の邸宅だったものを大城家が購入したものだそう。
旧大城家は、寄棟造で赤瓦葺の木造平屋建て。
屋根の真ん中にシーサーが鎮座しております。
家の前にある壁は、おばあさんに聞くと、「ヒンプンと呼ばれる目隠し」だそう。
この壁が大きければ大きいほど、お金持ちであったことを示す象徴だったそうです。
ちょっと調べてみると、ヒンプンとはもともと中国語の屏風(ひんぷん)のことだそうです。
また、沖縄の魔物は角を曲がるのが苦手なため、直進して入ってこないように魔除けの意味もあるとのことでした。