大手ハウスメーカーを代表する企業、積水ハウス。
今回は、その創業ストーリー・歴史についてお話します。
積水ハウスの創業はさかのぼると、日本窒素肥料という会社にたどりつきます。日本窒素肥料という会社は野口遵によって設立された会社で、当時の財閥のひとつ、日窒コンツェルンの中心企業でした。
日本窒素肥料は第二次世界大戦後、財閥解体にともなって整理されます。日窒コンツェルンの解体です。このことは、日本の住宅産業の歴史で大きなポイントです。この日窒コンツェルンの解体で、旭化成、積水化学などが生まれます。
積水化学は、戦後の旧日本窒素肥料の整理に伴って復職できなかった若手社員がつくった会社です。発足当初は新日本窒素の製品を販売して経営していました。そこから、日本で最初の自動射出成型機によるプラスチック製品をうみだします。この事業が当たり、業績を急速に伸ばしていきます。
この積水化学が30%の出資をして設立した会社が「積水ハウス産業」です。
元々、積水化学はプラスチックをつくる会社です。そのため、自社で生産するプラスチックの用途を拡大したいと考えていました。販売先が増えて、売上があがるからです。その生産するプラスチックの用途拡大のひとつとして検討されたのが、住宅でした。住宅の壁や天井などもプラスチックを使った住宅の生産を考えます。
ただ、プラスチックを多用した住宅は、強度や耐火性などに問題があり、台風や地震の多い日本では難しいことがわかります。そこでプレハブ工法を採用し、構造を軽量鉄骨にして、部分部分にプラスチックを使うことで住宅をつくりあげます。それが最初の試作住宅「セキスイハウスA型」です。
こうして、住宅産業への進出をするため「積水ハウス産業」が誕生します。
その後、社名を「積水ハウス」と変え、成長し、現在に至ります。