何かモノを買うとき、1円でも安いものを求めるのは不思議ではありません。
100円でハンバーガーが食べられますし、牛丼も280円。
ユニクロやファストファッション系の店では洋服も安いです。
価格が安く安くなっているスーパーも多いです。
同じモノなら、できるだけ安いものを選びたいです。
大切なお金を使うのですから。
安くすませられるにこしたことはないです。
ただ、「安かろう悪かろう」という言葉もよく使われるように、短絡的に安いから買う、という消費行動は必ずしも正しいとは言えません。
モノの「安さ」を生み出すには、大きく2つの方法で行われています。
ひとつは「企業努力」。
無駄な紙は使わない。無駄なコストを減らす。
移動を減らす。通信費を削減する。
こういった企業努力でコスト削減して、それを「安さ」の源とする方法があります。
もうひとつは「犠牲」です。
「安い家が本当にいい家でしょうか?」
私は大いに問いたいです。
住宅を一棟建てるのには以下のような仕事があります。
・造成工事
・仮設工事
・建築工事
・電気設備工事
・給排水設備工事
・ガス工事
・空調工事
などなどです。
これらの仕事の集合体として、住宅は建設されます。
そして、住宅のコストも同じくこれらのコストの集合体です。
これらのコストはそれぞれ、大きく2つに分解できます。
「材料」と「手間賃」です。
たとえば、「左官屋さんが内壁を漆喰で塗る」という仕事があります。
この仕事のコストは漆喰の「材料費」と「左官屋さんの手間賃」とで構成されます。
この「左官屋さんの手間賃」はすなわち、左官屋さんの給料、収入なのです。
ですから、もし、この仕事の金額を減らしたいなら、材料費を減らすか、左官屋さんの手間賃を減らすかのアプローチしかないです。
さて、問題です。
金額を減らしやすいのは、どちらでしょうか?
答えは「手間賃」です。
やり方としては、単純です。
仕事の内容自体はあまり変わりませんから、その金額で請け負わない左官屋さんには仕事を出さない、別の左官屋さんにやらせるといった主張をするだけです。
仕事の内容も同じ、ただ、金額が減るだけ。手間は変わりません。
ただ、仕事がないよりかは、マシなのです。
これらの論理によって、多くの職人さん方の犠牲の元に、多くの住宅が建築されています。
世間で言われる「安い家」「ローコスト住宅」は企業努力による安さの部分もありますが、多くは犠牲の元に生み出されています。
大工さん、板金屋さん、建具屋さん、左官屋さん、塗装屋さん、、、
表向きに「安い」家には、そういう裏側があります。
「単純に安い家が本当にいい家でしょうか?」