高桐院に行ってみるというのが、今回の京都滞在の主目的。
それで、実際に行ってみて、どうだったか。
「素晴らしい」
の一言につきますね。
想像以上に素晴らしく、そして、今後の参考になりました。
高桐院の魅力
高桐院の魅力は受け取る人によって異なるかと思います。
私自身が感じ取った魅力はやはり禅的な、茶道的な落ち着きです。
それはアプローチである参道から醸し出されます。
私の好きな苔庭というのも大きな要因です。
高桐院とは?
高桐院は細川藤孝(幽斎)の長子である細川忠興(三斎)により慶長6年(1601)に建立された大徳寺塔頭のひとつです。
そういうわけで、場所は大徳寺の敷地内にあります。
創設者の細川忠興(三斎)は83歳で亡くなります。
当時としては長生きですね。
遺言によって遺骨は高桐院に埋葬されたそうです。
細川忠興(三斎)は織田・豊臣・徳川の三時代にかけて活躍した武将です。
また、利休七哲の一人として茶道と深い関わりがあります。
千利休との深い関わりがあります。
高桐院のなか
千利休との関わりを端的に示しているのが高桐院の墓所です。
細川忠興(三斎)およびガラシャ夫人の墓石は生前愛した石灯籠です。
この石灯籠は元々、千利休が秘蔵の天下一の称ある灯籠でした。
そのため、太閤である豊臣秀吉がほしがったわけです。
そこで千利休はわざと裏面三分の一を欠き、キズモノと称して秀吉の求めを断りました。
のちに千利休が切腹した際、あらためて細川忠興(三斎)に遺贈したのです。
加えて、高桐院のメイン庭園にはこの石灯籠を模したものが置かれています。
さらに高桐院の書院は千利休の邸宅を移築したものだそうです。
ほかにも「袈裟形のおりつくばい」が貴重なものとしてあります。
この「袈裟形のおりつくばい」は有名な武将である加藤清正が朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰り、細川忠興(三斎)に贈ったものだそうです。
細川忠興(三斎)は石灯籠と共に愛用し、熊本、江戸間の参勤交代にも持ち歩き、80歳のときに高桐院におさめられたものです。