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憲法がヤバい 白川敬裕(著)を読んで、考えを明文化する大切さを学んだ #211

一昨日くらい前、1冊の本が届きました。

本の著者名を見てみると、
著者仲間の白川敬裕さんの本でした。

実は白川敬裕さんは福岡県北九州市出身なのです。
そこからラ・サール高校、東京大学法学部卒。
当時最年少の24歳で裁判官に任官。
2003年弁護士に転身というすごい経歴。

さて、本書のタイトルを見ると、
インパクトあるタイトル。

「憲法がヤバい」

憲法がヤバい、という問題提起

プロフィールには書いてないかもしれないですが、
実は私、竹内正浩は法学部に入学しております

九州大学法学部に入学、途中で転学部して、
経済学部に行き、そこで卒業しております。

大学は同じですが、転学部しているのです。
なので、実は法学部にいました。

憲法も学んでいたりしておりました。
さっぱり、きっぱり忘れておりますが!

まあ、人より法律には親しみがあるような、ないような。
そんな感じですが、本書を読んでみました。

本書の問題提起としては、
自由民主党が日本国憲法の「改正草案」を発表し、
憲法改正の気運が高まっていることがあります。

そこで、果たして、私たちは国会での改正の議論を見守り、
成立した改正憲法に従うということでよいのか?

憲法の本質を変えてしまっているのではないか。

そういう問題提起です。

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考えを明文化する大切さを学んだ

この問題提起に対する詳細と考察については
本書のメインテーマですから、本書をご覧いただくとしまして。

バリバリに横道にそれまして、
私が感じたことをお話します。

それは

「考えを明文化することは大切なこと」

だということです。

私が大学生になりたてのとき、
何が何だかわからない状態で、大講義室で聞いた憲法の講義。

意味もわからないまま、ペーパーテストでは
何とか単位をとった記憶がありますが、

時が経って改めて考えてみると、
それはそれなりにたしかに深い意味合いがあったのだと気づきます。

それは憲法というものが、
国家に対しての基本的な考え方、思想を明文化しているもの
だからです。

一定の共通認識としての価値観、思想、基本的な考え方、
そういうものを明文化したものであるわけです。

そうでないと、人によって考えはマチマチですから、
まとまらないことになります。

事象毎で解釈が大いにバラつくわけです。

ですから、一定の共通認識を明文化することで、
それを判断基準のベースとすることができ、
解釈のバラつきを減らすことができます

さて、それがどういいのか、というと、
それは人生においても同じだと思ったからです。

人生においても、
「考えを明文化することは大切」
だと思ったのです。

細かいところで言うと「遺書」も
考えを明文化したものです。

誰に何をいくら遺す。
あいつはどれくらい。こいつはこれくらい。

そう明文化することで、遺書を書く人の考えが
明らかになり、他者に伝えられます。

考えているだけでは、伝わりません。
共通認識を持っているようで、持っていません。
勘違い、誤解はほとんどの場合で起こります。

しかし、明文化しておくと、それを防ぐことができます。
多少の解釈の余地はありますが、おおまかには伝えられます。

仕事で言うと「マニュアル」がわかりやすいです。
マニュアルになると、考えや思想ではないですが、
細かく、他者に考えを伝えることができます。

「書籍」もそうです。
文章にして、考えをまとめることで、
他者に伝えることができます。明らかになります。

書籍を出版できるかどうかは別として、
明文化することで、考えを伝えることができます。

何か伝えたいことがあるとき、
残したい考えがあるとき、
明文化が大切になります。

明文化することで、ある程度は他者に伝えられます。

それは思想だったり、価値観だったり、
行動のやり方だったり、遺産の配分内容だったりします。

それがあると、その内容からバラつきが減ります。
ないと、大いにバラつきます。
人に伝わっていないからです。

私は憲法を書くことはないと思います。

ただ、私個人の人生では考えを明文化することで、
他者に考えや思想を伝えていこうとは思いました。

そうすることで、お互いに有益だからです。

憲法の話とはまるっきり飛んでしまった感じがしますが、
憲法のことを考えていたら、こういうことを感じました。

本を読んで感じることは人によって様々ですね。