機会があって、450万円のソファや250万円のソファを見て、座ることがありました。
たしかにきれいで、座り心地いいです。
いかにも高級そうな風です。
ただ、いかに高価といえど、ソファです。
本質的には安いソファと大差ないのです。
たとえば、250万円のソファと25万円のソファ。
どちらもソファとして利用できますし、25万円もなかなかおしゃれでいい感じです。
違いはおおむねディテールのこだわりで、高級品はそれ相応のクオリティです。
25万円のソファを買っても十分満足です。
もちろん、250万円のソファを買う人も満足です。
それは別のものでも同様です。
高いモノも安いモノもどちらも同じで、どちらもいい
たとえば、食事。
280円の牛丼でもお腹いっぱい。
25000円の高級フランス料理でもお腹いっぱい。
牛丼でもそれなりに満足です。
まあ、自炊したほうがいいでしょうが。
7000円のビジネスホテルでも十分宿泊できます。
50000円の高級ホテルでも宿泊できます。
3-4000円のサウナやカプセルホテルでももっと安く宿泊できます。
この状況は何を意味しているのでしょうか?
私は、この状況を「豊かさの問題」だと定義しました。
状況を詳しく考えてみると、価格が安いからといって、ちょっと質は劣るにしても不幸ではないのです。
お金が少ないから、稼ぎが少ないからといって、必ずしも不幸とはいえないのです。
金持ちも、そうでない人も、さして変わらない
では、「豊かさ(英語でいえば「rich」)」とは何なのでしょうか?
私は「稼ぐこと」をテーマにたくさんの人を取材して本を書きました
(参照:『30代で年収3000万円を実現した300人に聞いた!稼げる人、稼げない人』(東洋経済新報社))。
動機は自分のトラウマでした。
その方法論がまとまり、人より社会について知ったあとで、豊かさという問題に当たりました。
私が気づいたのは、大富豪もそうでない人も、本質的にはさして変わらないということです。
胃袋もひとつ。
さして食べられない。
同じように年をとる。
1日は24時間。
睡眠もとる。
もちろん、お金がありますから、住む場所、乗っている車、食事は高いでしょうが、それも根本的には同じです。
そうなると何が豊かさというのでしょうか?
豊かさって何なのでしょうか?
私は本当の豊かさは実は社会にあるように思います。
その「社会」は、周りの人、近隣を含んだ共同体から、所属する会社などの組織、都市、国家といったものを含んでいます。
これらの豊かさの話、すべて、日本という先進国だから、言える話です。
餓えで死ぬ国にいたら、生きるのに必死です。
先進国に生まれてラッキーです。
これが私の気づいた本当の豊かさです。
考えてもみてください。
江戸時代以前、過去1万年近く、ほとんどの人は農民でした。
朝起きて、夜寝るまで、農耕作業。
それ以外に、現代では比較できないほどエンターテイメントがなく、変化がありませんでした。
さらに、小作農といったように、領主と農奴といった関係も多く、一生を自由に送ることもままならない人も多くいました。
治安も悪く、殺されることもありました。
衛生状態も悪く、病気で死ぬ人も多かったです。
今はどうでしょうか?
絶え間なく流れるテレビ。
殺人がニュースになるほどの治安。
80-90歳といった平均寿命。
かつては運のよい少数の人だけしか長生きできなかったのです。
1日あれば、東京からニューヨークまで行けます。
かつては一生たどりつけなかった距離です。
携帯電話で、地球の反対にいる人と会話できます。
かつては、馬の速度でしか、やりとりできませんでした。
これらのことから言えること。
それは、すでに豊かだということです。
すでに豊か、だけど・・・
私は運良く、現在の社会に所属できたことで豊かさを手にすることができました。
ラッキーです。
これを読む、あなたもそうでしょう。
日本語が読めるということは、大部分、日本人ですから。
とはいえ、どうせ一度の人生。
泊まるなら高級ホテル。
食べるなら高級レストランがいいですよね(笑)。
ただ、そこは実は豊かさの上のおまけにすぎないのです。
豊かさのおまけ部分は、相対的なものです。
周囲の人と比べて、どれだけ豊かかが重要なのです。
マルクスがこう書いたそうです。
家が大きかろうと小さかろうと、周囲の家も同じ大きさであるかぎりは、住居としてのすべての社会的必要性を満たすことになる。だが、小さな家のそばに宮殿が建てられれば、小さな家は掘っ立て小屋に格下げになる。
まあ、相対的な豊かさに関しては、その人次第ですので。
私は日本に生まれて感謝してます。
すでに豊かなのですから。
過去10000年から1000年来に渡って、人々が夢見てやまなかった(夢見てすらいないレベルの)状況をすでに手に入れているという幸運。
豊かさとは、実はすでに手に入れていたものだったわけです。
それでは?
好きに生きればいい。
日本は素晴らしい国で、機会はある程度、平等に与えられています。
あとは、自分の好きなように生きればいい。
好きにすればいい。