家族で過ごす時間は長い方が良いというのはどうしてか?

前回のブログで、
現代は100年ほど前に比べると、
家族で過ごす時間は圧倒的に少なくなっているが、
現代であっても、なるべく多く家族で過ごす時間は大切だと述べました。

それは、明るい未来を創るという観点からみても、
正しいと思う考えを述べます。

なぜか?

長い時間のふれあいにより、継承されるものがあるからです。

私達は過去の人々の知恵や工夫や労力から作られたものを使って現代の生活をしています。

大昔の人びとから考えると、おそらく現代の日本は
「明るい未来」なのです。
水道が完備され、水洗トイレがあり、スーパーに行けば食べ物はいつでも手に入り、電気はボタンひとつで通る。
携帯電話で、いつでもどこでも連絡がとれ、地域の情報も手に入る。

稲を育てるのに1年かかり、
服を作るのも何日もかけ、
水を毎日遠くの川まで汲みにに出かけ、
住まいの設備は火くらいしかない、
肉や魚を食べるのはそれこそ、1ヶ月に数度。

そういう生活をしていた人びとから見れば
現代は間違いなく明るい未来だと思うでしょう。

もちろん、これらの恩恵の背景には、解決しないとならない問題があることは否定はしません。
空気・水質・土壌・食品の汚染や環境の問題や、
生態系への影響の問題、
手軽すぎる事による感謝の欠如、
人間関係の希薄化。

しかし、では、縄文時代に戻る事が幸せなのか。
というと私はやはり、そうは思いません。

やはり、先人が築いてきたものがあったからこそ、
現代の恩恵を受けているのだと思うからです。

そして、過去からの知恵の集積で、これらの問題も
解決していく事が明るい未来につながると思っています。

先人の知恵や労力や工夫はきちんと現代に継承されているのです。

そして、この継承の最も基本的な単位が
「家族」だと思っています。

親からこどもへ。
こどもから孫へ。

たとえ、相容れない親子関係であったとしても、
両親を反面教師としていたとしても、
同じ住まいで暮らした時間の中に、
受け継がれるものがそこにはあるのです。

それは、たとえ会話を交わさずとも、
一緒に旅行やレジャーに行かずとも、
「家族」ならではの距離感を保ちつつ日々の生活の中で
受け継がれていくものだと思います。

ですから、明るい未来を創る、という観点からみても、
家族で過ごす時間は長い方が良いと思うのです。

そこで私は、これからの住まいづくりにおいて、次の提案をしたいと思います。

個室は必要最小限。
家族の時間を増やすための住まい。

そういう住まいを創り、家族ですごす時間を増やしたいと思っています。

住空間は広ければ広いほど良いのでしょうか? 
部屋はたくさんあったほうが良いのでしょうか?

またまた長くなりますので、再度次回に続けます。

私の考える「家族」とは。

でんホームでは、幸せな家族のための住まい、という基本的な考え方があります。

でんホームの経営理念である、「明るい未来を創ろう」
幸せな家族が増える事で明るい未来を創る事ができる、と考えています。

住まいと家族は深い関係にあると考えています。

私は、いろいろな経験をする上で、
幸せな家族とはどういう事なのか、
家族にとって良い住まいはどういう住まいなのか
日々考えながら過ごしています。

今日は家族について私の考える事を述べます。

家族とは、何でしょう?

もちろん、
子どもの頃に歌った、こいのぼりの歌のように、
お父さん、お母さん、こどもたち。

ひとりひとりが家族です。

ですが、本当にそうでしょうか?

家族とは、「家」と「族」と書きます。

つまり、同じ家に住んでいる人たちが「家族」だというわけです。

一般的には血が繋がっていれば、家族、です。

しかし、私は一緒に暮らす人、生活を共にする人が家族、だと考えます。
共に過ごす時間が長いという単位です。

身近な例は「夫婦」です。
2人は血が繋がっているわけではありません。
けれど、一緒に暮らし、生活を共にする人であり、家族です。

そして、最近では、「ペット」もそうでしょう。
犬や猫、うさぎや鳥などのペットは、もはや家庭にとって大切な家族です。

逆はどうでしょう?
最近、「家庭内別居」という言葉を良く聞きます。
まさに、家の中で別居し、生活は別にしている状態です。

実は、現代は100年ほど前に比べると、
家族で過ごす時間は圧倒的に少なくなっています。

これは、
両親が外に働きに出るのが当たり前になった事、
子どもも外に勉強しにいくようになったのが当たり前になった事
によります。

以前は、士農工商の士以外はほとんど自宅近辺で仕事をしていました。
子どもも、親の仕事を継ぐ事が勉強でしたから、親について勉強しましたし、
それ以外の勉強も近所に集まるか、ほんの短い時間でしていました。

しかも、寝る部屋、ごはんを食べる部屋、勉強する部屋などの区別はほとんどなく、
ほぼ24時間かなり近い距離に家族が生活しており、
プライバシーなどもほぼ無かったと考えられます。

ところで、日本では、プライバシーの垣根が家族単位だ、という話を聞いたことがあります。
欧米では、たとえ子どもであっても、個人の尊重をします。

それは、家のつくりにも現れています。
それぞれの機能に分かれた部屋、個室のある欧米。
同じ空間を道具や設え(しつらえ)などの工夫でいろいろに利用していたという日本の知恵。
ふすまなどで仕切ったり、オープンにして使える分、音や気配などが伝わる日本。

どちらが良くてどちらが悪いという話ではありませんが、
考え方のひとつです。

話を元に戻しますが、
家族で過ごす時間が短くなっている事に関して、
何か問題はあるのでしょうか?

私は、明るい未来を創るという観点からみても、
できるだけ、家族で過ごす時間は長い方が良いのではないかと考えています。

なぜか?

ある一定以上の時間のふれあいにより、継承されるものがあるからです。

長くなりそうですので、次回に続けます。