木配りに立ち会いました。

11日は、朝倉市杷木にある杉岡製材所にて「木配り」に立ち会ってきました。

「木配り」とは、使う構造材をどこに使うのか、化粧材をどういう向きで魅せるのか、、それらを、加工前の製材の段階で決める事です。

最近は、柱や梁を見せないような、「大壁(おおかべ)」という仕上げにする住宅が多いです。
ですので、構造材である、柱や梁を壁や天井の内側に隠れてしまいます。
大壁の良いところは、壁や天井が面になるので、「すっきり」します。
また、隠れてしまうので、構造材の荒がわかりません。施工も楽です。
市街地などでは、法的な制限などもクリアしやすい事が多いです。

今回、でんホーム鳥飼プロジェクトでは、柱や梁を一部見せる「真壁(しんかべ)」といわれるつくりで設計しています。こういった構造材を表に見せる事を「梁あらわし」というように「あらわす」と表現します。

真壁の良いところは、何と言っても、構造材が見える安心感というところ。
また、1間や半間(1間は約1820mm、半間は910mmです。)ピッチで柱が入る事によるリズム感が生まれる事でしょうか。
木造なので、木が好きな人にとっては、木の現れる木目を見るのも楽しみのひとつです。また、だんだん飴色になっていく様も味わいと愛着がわくことでしょう。

ただ、構造自体が化粧材(表に見える材料のこと)なので、施工に大変気を使います。
通常はそのまま搬入される材料も、一本一本紙での養生をされて搬入されますし、
仕上げも、通常仕上げから化粧用の仕上げです。また、サッシや建具などの開口部との取り合いも意識しますので、ひと手間もふた手間も増えます。
また、見えるからこそ、材料には、強度等だけではなく見た目も重要視されることになります。
結果、材料費・施工費等々は大壁で作る場合に比べかなり割高になってきます。

このように、大壁も真壁もそれぞれ一長一短あります。

それぞれの、住まいづくりの方針と家族の状況により選択していくポイントのひとつかもしれません。(そもそも大壁・真壁の選択ができるところも少ないかもしれませんが…。)
最近の木造住宅では、ほとんど(おそらく8割以上)が大壁。真壁で作るところがあるとしても和室のみ、もしくは、天井の一部梁あらわし、というところが多いです。
今回は、木の良さを活かすという意味で真壁を採用しましたが、いろいろな選択肢があるという事を知っておいて損はないと思います。

さて、このたびは化粧材(表に見えてくる柱や梁の事)の番付に立ち会いました。
番付とは、それぞれの材の位置や方向を示す事です。
柱も梁も通常4面ありますが、どの面をどの方向で魅せるか、、という事です。
1本の丸太から切り出して製材するため、面によって、また切り出し方により、見える模様が違います。柾目だったり、板目だったり、多少の節が入っていたり、、、。

それぞれの製材の表や裏の木の表情を見ながら、その配置を決めていきます。
配置を決めて、「番付」をしていきます。
通常、平面図上のX方向の「いろはに、、、」とY方向の「1234,,」でおよその場所を示します。

柱、梁、一本も結構な重さがあります。
たとえば、8寸(約24cm)の梁で40~50kgあります。
それを一本づつ並べながら、ひっくり返しながら、見える面を見ていきます。

その作業の間、結構な重労働です。

ちなみに、今回お世話になっている、杉岡製材所の杉岡世邦専務は西日本新聞でコラムを連載中です。記事のタイトルは、『住まいのモノサシ』です。

いろいろな造詣に富んだお話を毎回執筆していらっしゃいます。

ちなみに、かつての朝倉市近辺の製材所は47件ほどあったそうですが、現在では7か所にまで減ってしまったそうです。

私も身近に林業をしていた人が、跡継ぎがなく辞めてしまい、さみしい思いをしました。
人の手が必要なところ(人件費がかかるところ)、国内で需要が少なくなってしまった産業、、建設業界にはそういう部分がたくさんありますが、そのことは一般の消費者にとっては、身近に感じにくくなってると思います。
私がいろいろな情報や関わる方々の表情をこうして発信することで、少しでも興味を持つような方が増えてくださればと思っています。

何十年と歴史を重ねてきた、一本一本の木の表情は何とも言えませんよね。
きっと住まう家族を静かに見守りつつ、元気とパワーをくれることと思っています。

■追記(2014.11.09)
このとき、木配りしました木材をふんだんに使いました「でんホーム鳥飼ゲストハウス」が完成しまして、もう1年以上も経ちました。時が経って、改めて風合いがまして、素晴らしいなと思っています。

ご興味ございましたら、お気軽にご連絡くださいませ!
内覧できますよー!

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基礎工事 1日目

いよいよ、今日から基礎工事に入りました。

まずは、掘り方(ほりかた)。

基礎の根入れのために地盤面(通常GL(ジーエル:ground level)といいます。)より掘り下げます。

この時、残土(ざんど:掘った土)が出ます。通常はこれを捨てるために費用がかかります。
今回は、隣の敷地があり、その敷地が少し低めだったので、敷きならしてもらうようにしています。

次に、砕石を敷いた後は、ランマーという機械で、圧力をかけて踏み固めていきます。

その後、土地からの湿気が上がってくるのを防ぐため、防湿シートを敷きます。

その後、捨てコンを打設します。
捨てコンとは、強度を出すためではなく、 住宅の外周部や内周部に墨出しを行い、正確に施工するための補助的工事です。

本日の工事は、ここまでで終了です。
一日で、結構な量の作業を2人の基礎工事屋さんがしていきます。

(夜撮影のため、写りが悪いです。)

今日、私自身は、現場での基礎関係の打ち合わせ(ポーチ柱の基礎・アンカーボルトの設置等)のほか、

・空調設備関係の打ち合わせ
・構造関係(プレカット)の打ち合わせ
・役所関係の打ち合わせ
・構造納まり関係の検討

等をしておりました。

まだまだ、検討する部分が山ほどありますね。。。
あまり使われていないような素材や機能、デザインを求める時、既存の仕組みから逸脱するような部分が多く、なかなか実現が難しい、、、ということを身を以て体験してます。

実際、できてみると、何のことはないような部分だったりするのですが(^^;

最近、毎日が追い立てられるような忙しさです。

・・・がブログはせっかくなので頑張って続けます♪♪
でんホームにとって、とても大切な1棟です。
たくさんの人に見ていただき、参考にしていただければと思います。

明日は、製材所に出向き、構造材のチェックをしてきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございます(^^)/

個室は本当に必要なのだろうか?

前回のブログまでのあらすじ。

私は「幸せな家族のための住まい」をつくりたい。

私の考える「家族」とは、
同じ「家」に住まい
同じ時間を共有して生活する人々が「家族」

ところが、現代はこの共有する時間が圧倒的に短い。
しかし、明るい未来をつくる、という観点から見ても
家族で過ごす時間はできるだけ長い方が良い。

古代の人から見たら、現代の生活は夢のような「明るい未来」だ。
もちろん、解決すべき課題も多いが、
その現代の生活の恩恵を私達が受けているのは、
先人の知恵や工夫や労力の継承があったからであり、
その継承の最も基本的な単位が「家族」であるから。

そのために、
個室は必要最小限。
家族の時間が増える住まい。
がいいのではないか、という事を書きました。

住まいの仕事をしているといろいろな家族の要望を聞きます。
10家族あれば、10家族の要望があっていいと思うのですが、
個室に関しての要望に関しては、皆さん同じ要望です。

6畳の子ども部屋2部屋と、寝室、それに1階には来客用や将来ご両親が来たときのための和室。
(お子様が1人なら子ども部屋1部屋、3人なら3部屋。)

私は言いたい。

1人1部屋、、、本当に必要ですか?

たくさん勉強されて、いろいろな間取りを見慣れていらっしゃる方が、住まいの要望をおっしゃるとき、実は皆さん、この部分を疑問にも思わないようなのです。

・・・そんなに必要ですか?

これは、結構かなりの人数の方を敵にまわす発言!?
・・・かもしれません。

しかし、だからこそ、こんな挑戦的な発言があっていいでしょう?(笑)
TV、CM、新聞、雑誌、インターネット、、、なんでも与えられた情報や、操作された記事からの判断で、人の行動や価値観は簡単に変わってしまいます。
私は、そのことに気づいてから、なんでも、当たり前、と信じられている事ほど、その背景や、製作者の意図を、一度は考えた方がいいと思っています。

・・・さて、話を住まいの話に戻しますね。

予算や敷地の関係により、住まい全体で確保できる面積には限りがあります。

また、共働きが多くなっている昨今、お手伝いさんでも雇わない限り、あまりに広すぎる住まいというのは、掃除や手入れが行き届きません。

そんな状況の中、部屋が欲しいと要望どおりにいくつも増やしていけば、空間は細切れになり、日当たりや風通しの悪い部屋ができ、部屋あたりの面積はどんどん狭くなり、掃除もしにくくなります。

また私は、個室化→孤立化のような気がしています。

人生の時間は短くて、家族でいる時間はもっと短いです。
いったいどの位、家族と一緒にいるでしょう?

平日では、朝の1時間、夜寝る前の数時間。

そして、休日に子どもと一緒にいるのは、小学生の低学年位までです。
高学年になると、友達と遊ぶ事が多くなり、中学生、高校生になると、
友達と出かけたり、部活に行ったりします。塾や予備校にも行きます。

そのうち、進学や就職。

実は、家族で過ごしている時間は、そんなに多くありません。

そんな中でも、なるべく多くの接点を持つ事ができれば、
家族の「継承」はできるのでは、、と思っています。

「自立心のために、自分の部屋をあげたい。」
「自分のものを管理・整理させたい。」

・・・わかります。
でしたら、部屋ではなく、空間をつくってはいかがでしょうか?
例えば、低いローボードで緩やかにエリアを作る、
棚を組み合わせて机と本棚を作る。など。

子どもの不便さは、親の思いやりでなんとか工夫してほしいと思います。
その要望は、子どものわがままでしょうか?
実は、親のめんどくさい、、ではないでしょうか?

「落ち着いて勉強してもらうために部屋をあげたい。」

実際にお子様は、子ども部屋で勉強していますか?

現代の子ども達が集中して勉強する空間は、充実した子ども部屋ではありません。
小学生くらいまでは、家族の目線がある、ダイニングやリビング。
中学生、高校生では、塾や予備校や学校の図書室。
実際は、このようなケースが多いようです。
もちろん、ごく一部の真面目で集中力のあるお子様は自室での勉強ができているようですが。

胸に手を当てて自分で思い出してください。
あなたは、中学校の頃、高校の頃、どこが一番集中して勉強できましたか?

こう質問すると、たいていのご両親は、
「そういえば、自分の部屋で、漫画読んでました。足音がすると隠してました。」
「塾か図書館で勉強してました。」
そうおっしゃる事が多いのですよ。

自分は、子ども部屋で勉強していないのに、自分の子どもは、子ども部屋で勉強をする、、、と幻想を抱いている方は結構多いのに驚きます。
きっと、ホームドラマの影響でしょうね。

また、お子様の受験期やテストの時期、家族で協力してあげてみてはいかがでしょうか?

娘が、息子が勉強をしている間、TVを消す。
一緒に仕事をする。また読書をして過ごす。
塾から帰ってきたら、リラックスさせてあげる、漫画を読んでいても、
今まで頑張っていたのだから、暖かく見守ってあげる。
また、小学生、中学生だったとしたら、一緒にテストの問題を考えてあげる。
学校が私立の進学校などでなければ、中学生くらいまででしたら、教科書中心になると思います。
一問一答式で、対話しながら、テスト勉強につきあってあげてもいいでしょう。

旅行やレジャーでは味わえない、家族の一体感を感じられると思います。

「もうこんなに難しい問題をやっているんだな」
とか、
「いまどきの小学生はこんな事を習うんだな」
とか、新しい発見もあります。

年頃の娘さん息子さんと、お父さんお母さん。
友達中心になっていく年代でも、とれるコミュニケーションがあると思います。

そんな事言ったって、
「仕事で疲れているんだ!」
「家事で忙しいのよ!」
「家でくらいリラックスしてTV見たい。」
・・・わかります。

ですが、お子様も、学校で勉強をし、複雑な人間関係を経験し、部活をこなし、
毎日毎日新しく勉強する事はたくさんあり、結構な労働量です。
その上で、学校や塾が終わった後、テストや宿題のために、さらに勉強しているのです。

これは、もしかしたら、仕事をしている、、という両親よりも過酷な環境かもしれませんよね。

子どものために、勉強部屋、個室を与えている、、、というのは、本当に子どもを愛しているからでしょうか?
それよりも、リラックスできる環境を、、、と思われてみてはいかがでしょうか?

どちらが、お子様への愛だと思いますか?

「でも、どうしても、個室がいる事情ができた。」

例えば、中学・高校の間だけ、という事であれば6年。
小学校の高学年を含めても9年です。
35年ローンを支払うとして、そのうちたった9年。
であれば、その間だけ、仕切って使う、、という事も可能だと思うのです。
ですが、最初から仕切ってある個室を作ると、その後広げる事はとても難しくなります。

個室は必要最小限。
家族の時間が増える住まい。

私はそんな住まいがいい、、と思っています。

幸せな家族って何でしょうね?

お金をかればかけるほど、きっと思い通りの個性的な住まいができます。
思い通りではありますが、
そこに家族の幸せや愛がなければ、単なる入れ物だと思うのです。

家族の幸せ、愛が本当にあふれているのなら、
どんな住まいであったとしても、その家族の住まい方がその家族らしさになっていきます。

私もまだまだ発展途上ですが、
幸せな家族をサポートする住まいを
ずっと考えて行きたいと思います。

皆様も、ぜひ、住まいを考えられる際、一度全ての事に疑問を持って
その選択は
「エゴ」なのか
「見栄」なのか
「めんどくさい」なのか
「なんとなく」なのか
「お得感」なのか
それとも
「家族への愛」なのか・・・

考えてみてください。

家族で過ごす時間は長い方が良いというのはどうしてか?

前回のブログで、
現代は100年ほど前に比べると、
家族で過ごす時間は圧倒的に少なくなっているが、
現代であっても、なるべく多く家族で過ごす時間は大切だと述べました。

それは、明るい未来を創るという観点からみても、
正しいと思う考えを述べます。

なぜか?

長い時間のふれあいにより、継承されるものがあるからです。

私達は過去の人々の知恵や工夫や労力から作られたものを使って現代の生活をしています。

大昔の人びとから考えると、おそらく現代の日本は
「明るい未来」なのです。
水道が完備され、水洗トイレがあり、スーパーに行けば食べ物はいつでも手に入り、電気はボタンひとつで通る。
携帯電話で、いつでもどこでも連絡がとれ、地域の情報も手に入る。

稲を育てるのに1年かかり、
服を作るのも何日もかけ、
水を毎日遠くの川まで汲みにに出かけ、
住まいの設備は火くらいしかない、
肉や魚を食べるのはそれこそ、1ヶ月に数度。

そういう生活をしていた人びとから見れば
現代は間違いなく明るい未来だと思うでしょう。

もちろん、これらの恩恵の背景には、解決しないとならない問題があることは否定はしません。
空気・水質・土壌・食品の汚染や環境の問題や、
生態系への影響の問題、
手軽すぎる事による感謝の欠如、
人間関係の希薄化。

しかし、では、縄文時代に戻る事が幸せなのか。
というと私はやはり、そうは思いません。

やはり、先人が築いてきたものがあったからこそ、
現代の恩恵を受けているのだと思うからです。

そして、過去からの知恵の集積で、これらの問題も
解決していく事が明るい未来につながると思っています。

先人の知恵や労力や工夫はきちんと現代に継承されているのです。

そして、この継承の最も基本的な単位が
「家族」だと思っています。

親からこどもへ。
こどもから孫へ。

たとえ、相容れない親子関係であったとしても、
両親を反面教師としていたとしても、
同じ住まいで暮らした時間の中に、
受け継がれるものがそこにはあるのです。

それは、たとえ会話を交わさずとも、
一緒に旅行やレジャーに行かずとも、
「家族」ならではの距離感を保ちつつ日々の生活の中で
受け継がれていくものだと思います。

ですから、明るい未来を創る、という観点からみても、
家族で過ごす時間は長い方が良いと思うのです。

そこで私は、これからの住まいづくりにおいて、次の提案をしたいと思います。

個室は必要最小限。
家族の時間を増やすための住まい。

そういう住まいを創り、家族ですごす時間を増やしたいと思っています。

住空間は広ければ広いほど良いのでしょうか? 
部屋はたくさんあったほうが良いのでしょうか?

またまた長くなりますので、再度次回に続けます。