私は普通の家庭に育ちました。
北九州市八幡東区出身の父と八幡西区出身の母。
両親ともにやさしい人で、いい人。
二人は、おじの紹介で出会い、結婚しました。
私たちは、まだ小さいとき、福岡市に引っ越したのです。
私はというと、城南区は東油山にある油山幼稚園に入園。
小学校は堤小学校に入学しました。
それから3年経った、小学3年生のとき。
私の人生は一転します。
それは、父が他界したのです。
このことが、私自身の人生を大きく変えることになるのです。
私は、そのとき、無意識下ではあったのですが、決めたことがあります。
それは「遅かれ、早かれ、人は死ぬ。であれば、意味のある人生を送ろう」ということです。
近くの公立中学校である長尾中学校に進みます。
それから福岡中央高校という、公立の高校に進学。
そして、九州大学に入学したのです。
現在、九州大学は西区伊都にキャンパスを移しています。
ただ、私が在学中は中央区六本松と東区箱崎にキャンパスがありました。
そこまで、通学は、もちろん自転車です。
六本松キャンパスまで、1年半通いました。
それは、近くですみました。
箱崎キャンパスには、2年半通いました。
片道1時間を、自転車で毎日往復していました。
冬、手がブルブルふるえるほどの寒さでも、着いたときには、汗をかいていました。
そんななかでも、僕は意味のある人生を送ることを意識して、毎日、毎日、本を読みました。
講義中も、講義が終わっても。
もちろん、休日も。
そのような思いから、在学中より、いくつかのスモールビジネスをしました。
同時に、株式投資もしていました。
それらの流れから、アメリカのとある経営コンサルタントのことを知りました。
そして、その知的財産権を扱う仕事もしました。
そこから、意味のある人生を送る方法を模索していきます。
具体的には、普通ではない人生を送った人という条件から、『30代で年収3000万円を実現した人300人』を調査してきました(実は、書籍にもなっています・東洋経済新報社刊)。
そのような経緯で、色々な仕事をしてきました。
そのなかで、これまでに成功した社長数百人以上と会う機会があったのです。
そういう経験をしてきて気付いたことがあります。
社長には二種類の人がいるということです。
仕事への想いのある社長と、仕事への想いのない社長です。
正直に言って、仕事への想いがない社長でも、成功してお金持ちな人もいるのです。
でも、私は私利私欲に走る社長、志・想いのない社長、倫理観のない社長、人徳のない社長の下では働きたくはないと決めました。
そして、私は、志があって、仕事への想いのある人の下で働こう、情熱があって、世の中をよくしたいという想いのある人の下で役に立ちたいと思うようになりました。
そんなとき、一人の女性と出会いました。
彼女とはじめて二人きりで会ったカフェ。
そこで彼女は、以前のお客様から頂いた手紙を見せながら、熱く語ってくれたのです。
自分の未来のこと、自分の想い、やりたいこと、そして、夢について。
私は、彼女のひたむきさ、純粋さ、想い、そして、熱意に惹かれるようになっていきました。
それから、何度も彼女に会ううちに、お互いがひかれ合い、恋に落ちたのです。
彼女が、いつも私に語ってくれた夢。
それが『明るい未来をつくる住まいと家族のために生きる』ということだったのです。
そして、その女性が、藤本香織、私の妻です。
彼女と毎日のように会って話をしていくうちに、彼女の夢はいつしか私の夢にもなっていったのです。
もちろん、私は出会ってから、付き合い、結婚して今に至るまで、何度も確かめました。
「この人は、自分を捧げるに値するような、想いのある、情熱のある人なのだろうか?」と。
それは、私の持っていた条件である、私利私欲ではなく、志や仕事への想い、情熱を持った人であることを確かめたかったからです。
そして、実際に彼女は仕事への熱い想いをもって、自分の考える理想の住まいの探求、そして、世の中に大いに役立つ理想的な会社づくりの探求をしてきました。
全国の住宅会社の社長に連絡をとって会いに行ったり、アポなしで富山の住宅会社社長に突撃して話を聞いたり、といったものから、日本の古民家を調べに行ったり、アメリカの街づくりについて現地調査したり。
私も同行していたのでわかりますが、会う人も、好意的な人もいれば、否定的な人もいます。
時には、断られるだけでなく、「失敗する」「うまくいかない」「キミには無理」そんな言葉をかけられることもあったのです。
そういう経験をしていく彼女を見てきました。
そうして確信を持ちました。
「この人は、本当に想いをもって、ゼロから、カネなし、コネなし、実績なしの状態から、困難な道を歩もうとしているのだ」と。
だから、私は彼女のために役立とうと思ったのです。
彼女がゼロから会社を始めて、苦労するだろうけれども、私は彼女のために働いて、彼女を応援しようと。
私は、彼女が彼女の夢を叶えることを私自身の夢のひとつにしようと決めたのです。
ただ、正直言って、僕はこれまで建築や住宅に関係することがありませんでした。
そこで、「何が何でも、知識や経験を身に付けて、役に立たねば」そういう思いで、色々なことをしてきました。
たとえば、彼女と一緒に日本全国にある住宅会社を100社超もの数を視察しに行きました。
さらに、住宅建築に関する書籍を300冊以上読み、技術面、理論面、アプローチなどについて学びました。
そして、大工の仕事を体に叩き込むために、大工の学校に通ったりもしました。
もちろん、現在も、もっと様々な知識、経験を積む日々です。
そうして、様々な経験・学習によって、住宅建築についての知識を身に付けていったのです。
彼女の夢『明るい未来をつくる住まいと家族のために生きる』ことを実現させるために。
そうして、でんホームという住宅会社はできました。
そこで私は、「明るい未来をつくる住まい」に共感いただける方が素晴らしい住まいをつくることをお手伝いしています。
また、お手伝いするにふさわしい知識・経験を身につけることに日々、精進しています。
もし、「明るい未来をつくる住まい」にご興味をお持ちになったり、少しでも共感いただけたのでしたら、お気軽にご連絡ください。
勝手にご自宅に伺うような強引な営業は一切しないことをお約束します。
あなたと出会えることを、楽しみにしています!
竹内 正浩